「リトルリーグ関西連盟創立50周年史~リトルから始める、未来への挑戦~」に監督の文章が掲載されました。
リトル三代記・大阪生野の浅田ファミリー“生野魂”の継承
大阪生野リーグは、2年前に亡くなった私の母・浅田数子が1969年(昭和44年)、大阪生野南リーグとして設立したのが始まりです。その傘下には生野本部、生野西、生野田島など計5チームが所属。連盟主催の大会には、この5チームが試合を行い、その結果で選抜チームを編成し大阪生野として出場していました。私が小学校4年生の時、友だちと野球を始めたのがリーグ設立のきっかけとなったのですが、気が付けば私はリトルリーガーからコーチ、監督と成長し、私の息子もリトルリーガーになりました。今から20年前、息子にとっては会長が祖母、監督が父親という3世代が揃った関係になり、周りからは“浅田ファミリー”と呼ばれるようになりました。
時の流れに沿って振り返ってみると、選手時代の三重・伊勢リーグとの交流で民泊したこと、コーチ時代には沖縄・米軍嘉手納基地での国際交流試合、監督時代は四国・松山市での全国選抜大会と3世代揃って参加したジャイアンツ・カップ大会・・・どれをとってみても本当にすばらしい経験でした。その中で多くの方々との出会いがあり、私自身も人間として大きく成長できたと思います。これも亡き母が、いったんやり始めたら最後までやり続けるという強い意志でリーグの運営にのぞんできたからこそです。母はよく「本物は続く。続ければ本物になる」と言っていました。まさしくその言葉通りの精神でリーグを束ねてきた母に敬意を表すると同時に感謝しています。今は大阪生野リトルと14年前に創設した大阪生野シニアの教え子たちが一丸となって母の思いを受け継いでリーグの運営に励んでいるところです。
5年前、OB会を立ち上げた際、久しぶりに教え子たちと再会し満面の笑みを浮かべながら昔話に花を咲かせていた母の姿が今も脳裏に焼き付いています。私たち指導者はこの母の“生野魂”をしっかりと継承し、野球を通じて未来を担う子供たちに21世紀を生き抜く力をつけ、また子供たちの良き理解者として指導に当たって行きたいと考えております。最後になりますが、関西連盟創立50周年にあたり、このような特別寄稿の機会をいただき、深く感謝を申し上げます。